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過去にあんなに素晴らしい作品があったのだから、昭和の現代にあの名品をも凌駕した着物を創ってみたい、こんな思いが私を支え、研究と開発へ向かわせたのです。私は二十二歳で独立して工房を持ちましたが、それから十年は、寝食を忘れて金彩技術の改良に取り組みました。当時金彩の最大の欠点は接着剤である糊にありました。湿気の多い時は箔のベタつき、変色、亀裂、剥離の原因となり、乾燥期には、箔が厚紙のように固くなって、金彩の評価を落としていたのです。私は染色試験場や大学の研究室の指導を得て、現代では金彩を施した部分は布地と同じ風合でやわらかく、ドライクリーニングにも耐え、後染め、色抜きしても金彩が剥がれない糊の開発に成功しました。ついで箔の開発です。修業当時十色程しかなかった金彩箔を一色一色増やし、今では百五十色にも及んでいます。柔軟で強力な接着剤と数多い金彩箔、型紙の高度な技術の進歩など素材の開発によって、友禅染めにも負けない微妙な表現が可能となり、金彩だけの手描友禅が誕生しました。金彩のみで制作された過去の名品に匹敵すると共に、友禅の工程である蒸しや水洗いにも耐える金彩をと、私は秘かな自負を込めて「金彩友禅」と命名し、現在では「光のオーケストラ・金彩友禅」と呼ばれるようになりました。金彩友禅の作品を初めて発表したのは、昭和四十六年二月二十一日、京都市岡崎の勧業館で開催した「金銀の文様展」でした。文字通り生きるか死ぬかの大きな賭けでしたから、身体が震えたのを覚えています。この日が金彩友禅の実質的な誕生日であり、その後の創作活動の原点となりました。ここ数年、私は海外(アメリカ・ドイツ・イタリア・南アフリカ共和国)に於いて、金彩友禅の着物とドレスの個展とショーを開催しました。きものが主でしたから、どのように受けとめられるのか想像もつかなかったのですが、どこの国でも表現こそ違え、「時代を超越した芸術」「技術と忍耐力のすばらしさ」「洗練されたに日本文化の精髄」などの賛辞には、金彩友禅の神秘な美の魅力と、金彩友禅を生んだ日本の伝統への理解が表れており、これには大きな驚きと共に、感激いたしました。初心を忘れるべからず、夢忘れることなかれ。金彩友禅の地位向上をめざしてスタートした私ですが、金彩友禅の技法は着物や帯、ドレスは勿論、タペストリー、屏風などのインテリア、バッグなどの和洋小物、アクセサリーに至まで、その応用は可能です。伝統の技術により一層の創意工夫を加え、金彩友禅でないと出来ないのもづくりに挑戦することが今後の課題です。更に金彩友禅の作品を通して、日本人の心に日本のびと伝統を秘めた精神文化を、そして日本に生まれ、日本人であることの喜びと埃を感じていただくことが、私の夢であります。また金彩友禅を世界の一人でも多くの人達に見ていただき、日本人の心、日本の伝統文化を世界に伝えていきたいと思います。 |
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