和田光正作品集III・「輝跡」
    
 
 
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天職という言葉があります。天が授けてくれた自分最もにあった職業、自分のために用意してくれた仕事、とでも解すればいいのでしょうか。不惑を越えた今、私の天職は金彩 友禅ですと言えるようになりました。私は運命論者ではありませんが、一人の人間の生涯には、人知では測り知れない不思議な縁がついてまわる時があります。それはむしろ出会いと言った方が適切かも知れません。日々新たな出会いの連続の中で、一生を決定づける出会いは案外さり気なくやって来るようです。私と金彩 友禅の出会いもそうでした。もう三十年近くも前のことになりますが、中学校を卒業した私は、さる会社に就職も決まり、四月から出社を待つばかりでした。そんなある日、叔母の一人が、私を友禅の彩 色仕上げの工房へ連れて行ったのです。私の父も友禅の彩色職人でしたが、私が三歳の時に死んでおり、工房を見学するのは初めての経験でした。叔母にしてみれば、間もなく社会への第一歩を踏み出す私に、父親の仕事の一端を教えておきたかったのでしょうが、工房を見学させてもらううちに、身内に熱いものがこみ上げ、武者振るいにも似た感覚を持って、ほとんど即座に弟子入りを決心していたのです。父親がやっていた仕事だからという意識が潜在的に有ったのかもしれませんが、身体が熱くなったことを覚えています。金彩 友禅という名称が定着したのは、ここ十五年程のことです。私が入門した当時の金彩 加工は、現在とは比較にならないくらい冷遇されていました。あしらい仕事、染難かくし、かさ出しの役として、誰にでも出来る簡単な仕事と見なされ、染色工程全般 の中で、従の立場に置かれておりました。随分くやしい思いもしましたが、そんな時脳裏に浮かんだのは、摺箔、押箔、振落とし金砂子などの技法が確立した桃山時代から江戸時代初期に制作された小袖や能装束など、金彩 技法を駆使して創作された過去の名品です。
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